よく顧客に「弊社は数より質で商いをしております。」と話すことがおおい。
改めて考えると「質」ってなんだろうか?
そもそも「システム開発リソースの質」と「システムの質」は別のものである。システムの質とは完成し、稼動するシステムの高機能性や効率性、速度などをさしている。対して我々述べる「システム開発リソースの質」とは結局のところ人数で勝負するより我々のいう質を頼りにしたほうが「早く、確実に、良いものが出来る」と述べているに過ぎない。
つまるところ、簡単に述べれば、他の企業がある仕事を100人月と見積もったとする。
例えば20人のチームが5ヶ月といったところか。
そのときに我々は、「10人で4ヶ月で作ります」お金は20人分とはいいませんが、15人分ください。結局安いですよね?という論理を述べているのである。
実はこの事は顧客にとっても非常にメリットがある。プロジェクトの最大のリスクポイントの一つである。「コミニュケーション」は最適化され最小化される。リスクが大幅に提言される。
開発側も、管理コストが減少する。物理的な場所や資材などのリソースが少なくてすむ。これが開発リソースの質である。
だが多くの弊社の顧客は述べるだろう。御社の見積もりは安さなら他に負けているよ?
と。それはなぜなら、我々が同時にシステムの質を追求するからである。
我々は、質の高いリソース=よい職人を使い、早く機能をそろえて、顧客に提供する。そして、それで満足せずにより顧客満足度を高める事にリソースを裂く。「まあ、うごくには動いたが、、、」という言葉を顧客に持たせたくは無い。
その結果、開発リソースの質が高い割には安くは提供できないのである。
さて、では次に開発したシステムの質とはなんであろう?
職人が手間隙をかけて真剣に作ったものは多くの場合、非常に素晴らしく非常に高価な値がつく。鞄や、靴、衣類など。素材、工賃何よりかけている時間。
そして、多くの人はその素晴らしさを理解し「質」を受け入れるから職人のハンドメイドには量産品の数十倍もの対価を払う。
さらに、「良質を知る」利用者はむしろ苦労して態々手に入れる。
我々もその「良質なシステム」を提案しているつもりである。しかし、残念ながら提案では負けるケースが多い。
そう、そもそも「良質をしる」ユーザーは何処に居るのだろうか?我々が訴える質を望むユーザーは何処に居るのだろうか。
我々は、高度な技能をもつ職人を集め、高品質のシステムの提供を訴えてきた。
しかし、ふと振り返って思うことは「質」を理解しているユーザーはどれだけ居るのだろう?それは「ユーザーがシステムを理解しない」と逃げてきたのではないだろうか?
例えば、革鞄を探すことを例に取ろうか。(今自分が探しているからである)皮の素材やなめしの方法、その色艶。縫製のよさや金具、さらには厳しい品質管理。。。
例えば、皮はブライドルレザーで縫製は手縫い。金具はメッキでなく削りだし。使えば使うほど味が出る。さて、こういった鞄が「量より質」で勝負していることは容易に誰でも想像できる。
しかし、システムの質を人に訴えるのは難しい「顧客が理解していない」という前に我々は何をもって質を説明しているのか?
作っている職人の年季?つまりSEの開発経験?
使っている素材?つまりインフラの高度さ?
縫製のよさ?デザインパターンやフレームワークなどの実装手法?
品質管理の厳しさ?つまりマネジメントの手法やテストの手法?
そういったものを総合的にあらわす指標や商品の表示はない。
ふと最近思う。システムでも人が死ぬ。今社会のあらゆるインフラに浸透したコンピューターシステムはその暴走により人が死ぬ恐れが十分にある。
このときに品質に関する指標・基準はない。そろそろ、質に対する基準があってもいいのかとも思う。
なので、我々も「システムの質の良さ」をきちんと説明できていない。
「開発リソースの質の良さ」は結局単に安く、早くできますよ。よいって居るだけなのでまだ説明は容易だ。
しかし、後者の「システムの質の良さ」は全然説明できていない。
今、質のよいシステムとは、「大企業が工数をかけて作るシステム=質の高いシステム」とすら捕らえられている。
そこで、そのためにも開発プロセスを検討したいのである。
しつこいが。
その中に是非、品質の基準やその指標を設けてみたいと思っている。
また、プロセスにおける「成果物の一覧」自体も大切な質の指標と考えている。品質の裏づけとしてこれだけの作業工程で、これだけのものが生み出されるのであるという証なのである。
まあ、例えばある鞄の有名なメーカーのサイトを訪れるといい。「手作りで行う作業工程」が書かれていて、そこで手間をかけていることを説明しているだろう。
今、システム開発において、かけている手間の説明も出来ていないし、その結果の指標もない。その両方を今、開発プロセスという大くくりのなかで検討したいと思っている。